人間の世界の「面識」というものは、まさかと思ってはいても、その落とし穴に落ちることがないとは限りません。人間は身辺に何も起っていない時は「平穏無事といって」そう心配することはありませんけれど、極端に金に困ったり、窮地に追い込まれたりすると、ついつい怪しげな世界や、手っ取り早く金になる世界などへ近づき易くなる。また平穏無事の中にいても、誘惑という魔の手に乗ってその世界に足を踏み入れることだって全くないとは言い切れない。そんなことは絶対に無いと言い切れる人は、余程の強固な自制心がある人か、それとも一度もその様な状態に自分が置かれたことがないか、のいずれかではないでしょうか。
世の中には不運な人やその反対に恵まれ過ぎた人がかなりおられます。不運な人は、危ないことは百も承知で、背に腹は代えられず、その落とし穴へ自ら飛び込んで行く。その反対に恵まれ過ぎた人は、退屈を持て余し、何か邪悪な欲望の捌け口をその世界に求めたりすることが必然的に多くなりがちなもの。そこでこの「悪い面識」という厄介なものに出会う可能性が増えるというわけです。また自分から望まなくても行き掛かり上、「普段なら避けたい様な人」との面識ができてしまうことだってありますよね。そういう場合の運不運の差というものは社会生活を続けていると、誰にでもあるものですが、「悪しき面識」が多ければ多いだけ、その人の人生に陰を落とすことは間違いありません。「面識」の良し悪しは、その人の一生をも左右しかねないもの。「良き面識はその人の姿が選ぶ」という諺がある如く、それは或る程度の真実を延べている様な気がいたします。身を正しく保つことによって「悪い面識」から遠ざかることは或る意味では可能でしょうね。そう思いませんか?
終わり良ければ、全て良し
W. シェークスピア(イギリスの劇作家)

